このたび、実に1000号という節目の記事を迎えることができた。

思えば4年前、2004年の4月に、ポツリポツリと書き始めたのがコトの始まりであった。

今回は、1000号記事を記念して、自らの「麺喰道」を振り返るという意味で、いろいろな背景について綴ってみたいと思う。

これまでにも何度か記事の中で触れたことも多々あろうとは思うのだが、書いた本人が覚えていないので、自らの備忘録としても残しておきたいという気持ちもある。

なお、記載した時期などについてはうろ覚えである記憶を元にしているため、若干の前後や左右、上下があることをご了承願いたい。「今はそう思っている」というスタンスで軽く右から左へ受け流していただきたい。
また、複数日に渡って執筆しているため、内容の重複や表現の不統一、表記のゆらぎ等があることをお許し願いたい。

では、思い出し考え出し、始めてみましょうか。

長文にて失礼・・・・

<※加筆修正:2014/02/23>
 

<黎明期>

そもそもblogなど綴るつもりはなかった。
文章を読むのも書くのも好きであったが、それがゆえ会社で書くビジネス文書は「冗長で無駄が多い」などと指摘される始末。どこかで思いきりナニかを書きたいという欲求はあった。
一時期、インターネット黎明期に「自分のホームページを作って公開する」という趣味が流行った時期があったが、よくもまぁみんな書くことがあるモノだと感心していた。「自分に、人様に公開するような話のネタがドコにある?」と、いつも思っていた。案の定、皆だんだんと書くことがなくなり、ネタに詰まり、そして更新意欲が失われて徐々にそのようなホームページも淘汰されていった。この時期にもご多分に漏れず私もホームページ作りにチャレンジしたこともあったのだが、中途半端に終わり、結局公開することもなく忘れ去っていた。

きっかけは“GREE”であった。SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)の黎明期、まだmixiが今のように有象無象の会員を集めて巨大化する前に、日本で初めてのSNSとしてスタートを切ったGREEに招待状をもらい参加したのであるが、それまでのパソコン通信やNiftyなどのコミュニティとも一線を画するサービスに、一時期ハマってしまった。会員も少なく、ましてや鹿児島の参加者といえば検索すれば数ページ、といった具合で、機能的にも未熟であったGREEだったが、それでもリンクしながら友人がつながっていくというオモシロさに魅了されていた。
そして、ここはイマイチハッキリしないのだが、当時のGREEには日記機能がなかったように思う。あったとしても機能が限定的だったのではなかったか。それを補う意味と、プロフィールをSNS外、インターネットにも公開する機能を欲し、招待してくれた友人に習って登録したのが“MyProfeel”というサービスであった。このサービスが、幾多のベンチャー企業同士の合従連衡の末、何度も名前を変えサービス内容を変え、姿を変えたのが現在の「ドリコムブログ」である。(※註:当初のblog運営主体)
これまでの人生で日記を書くなどという習慣もなかったため、日記を付けるなどという気はさらさらなく、自分のプロフィールを充実できたら、と思って登録した“MyProfeel”に、たまたまその頃流行りだした『ブログ』なる機能が付いていた、というのが事実である。
ブログには、ホームページとは違い、デザインなどは後回しに、とりあえずテキストを入力して公開すればよいモノであったため、取っつきがよいというメリットがあった。

さて、せっかくおまけで付いてきた『ブログ』なる機能、どうもこれから流行りそうな情勢である。世の中の動きをウォッチしておきたいタチの私としては、ぜひ試してみたい。しかし、ただただ文を書くにしても、そんなにネタがあるはずがないではないか。
そんな思いを抱きながら過ごしていたある日、昼食に一緒に出かけた上司に、「オマエ、いっつも昼は麺なのな。」と指摘された。それまで自分で麺ばかり食しているなどという意識は全くなく、「えっ?!そうですか・・・・?」と答えてはみたが、振り返ってみると確かに麺が多い。ごはんモノと麺類が選べるなら、ほぼ間違いなく麺を選んでいた。ここで一つの閃きが。

・・・・メシのネタなら毎日のことなので途切れることはあるまい。そして、それを麺に限って書けばホントの「ネタ」になる・・・・

ある意味、ここが最初のターニングポイントだったのであろう。
書くネタは見つかった。しかし、ただ書いていっては面白味に欠ける。
そこで、書き始めるにあたっていくつかのストーリーを自分なりに組み立て、それを演じることで面白みを出そうと考えた。

まずはタイトル。「麺」をテーマにするのだからと、「麺喰い」という部分はすんなりと決まったのだが、その後をどうするか。「麺喰い屋」「麺喰い亭」「麺喰い×××」・・・・いろいろ考えた末に思いついたのが『麺喰道』であった。
日本古来の『~道』。剣道、華道、茶道、合気道、柔道。そのミチの考え方や様式、あるべき姿、道理などを示したもの。これを、「麺を食する」ということに当てはめ、あくまで消費者としての立場でエラそうに述べていけば、記事になるのではなかろうか。
自らも剣道を一時期コドモの頃習っていたこと、家内の祖父が鹿児島の剣道/居合道の大家であったこと、家では母や曾祖母が茶道教授として生徒を教えていたりしたこともあり、少しはそれらをかじってその方面に興味や関心があったこと、その精神という部分に共感していることなども『道』という単語を選ぶきっかけになった。

そして、文体についても意識した。『道』を名乗るからには、ちょっとタカビーな態度で書かなければならない。そうしてエラそうな態度で書いておきながら、落とすところで落とせばそのギャップが笑いを誘える。『道』であるからには、その代表者を名乗ろう。そうだ、“宗主”と名乗ろう。しかし、あえて一人称は卑屈な“小生”という気弱な態度を貫こうではないか。

こうして、大体のアウトライン、『麺喰道』の『宗主』たる『小生』が語る独りよがりな麺喰い評、というモノができあがったのであった。

いざ書き始めるにあたって、日記はダルいので、これまで食した麺の中で、思い出に残ったウマい麺を書き綴っていくこととした。そうして、第一号記事、『麺喰道覚書』は、2004年4月19日に上梓されたのであった。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531504.html

(当時の)ドリコムブログのよいところは、このように過去記事の連番がアーカイブ記事のURLの末尾に振られていることで、テキトーに番号を入れればその記事にジャンプすることができることである。本記事が1000号記事であることも、この末尾番号で知れるのであるが、管理画面からみると実は本当の1000号記事ではないらしい。一時期ドリコムブログのサーバーが不安定だった時期などがあり、そこに投稿して消えてしまった記事の番号が欠番になったりしていて、表に出ている記事は10号ほど少ない模様だ。しかし、誰がそのような些末事を気にするというのだ。すべての記事を印刷でもして整理しない限り、問題になることはないであろう。
(※註:現在のlivedoor blogには当てはまりません)

このように意外と難産の末始めた『麺喰道』であったが、当初は割とすんなりと書き進められた。なにせ、いつ食したのかも定かでない『麺』について、おぼろげな記憶でテキトーなコトを書けばよかったのだ。定期更新もへったくれもない。そのため、最初期の記事は、ほとんどが「超個人的××なオススメ○○」という記事のタイトルであった。



<第一次転機>

しかし、やがてネタは尽きる。
記憶に残る『麺』など、いくつあるというのだ。ましてやそれまで、記事にするなどと意識していたわけではないので、「あれ、なんて店だったっけ?」とか、「ナニ食べたんだっけ?」などとなるのは必定。
こうして、開始後1ヶ月ぐらいで路線変更を迫られる。継続するためには、やはり日記スタイルにして、「今日はナニを食べました」といった感想を元にしなければなるまい。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531527.html

そしてこの時期、もう一つの転機が訪れる。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531522.html
つらつらと書いていたテキトーな記事に、コメントがついたのだ。

それも、食した店のご店主本人から。

これにはさすがにビックリ。誰に読んでもらうことも目的とせず、ただただ書いては自己満足する、という世界だったのが、他人に読まれていることが発覚したのだ。しかも、本人に。

それが誰あろう、今ではすっかりオトモダチとしてお付き合いさせていただいている『みそや・堂』の大将、中堂園拓也氏である。

こりゃいかん、読まれてる!ということで、しばらく『みそや・堂』への出入りを見合わせた次第であった。

この時期、あくまで日記として続けるつもりはなかったので、今日食した麺について書いた日のタイトルは『今日の麺』というものであり、さすがに見分けがつかないのでタイトルに日付を含めるようになったのもこれがゆえである。

また、現在の、記事のセンテンスを短く切り、センタリングして表示して各種文字の装飾を施し、カラフルに、目を引くようにという書式に変えたのもこの頃であった。もっともこの形式は、そのずいぶんと前だとは思うが、アスキー出版から出されていた「Windows95を256倍楽しむ本」といった、「××を256倍楽しむ本」シリーズからインスパイアされたものである。そしてもう一つ、当時爆発的に流行っていた“侍魂”というネタモノサイトでも一部使われていたように思う。今考えてみれば、自らの経験をネタとして晒し、笑いを取るというスタイルは、この“侍魂”から受けた影響も大きかったと思う。何せこの“侍魂”というサイト、『先行者』という中華ロボットをネタにして爆発的な人気を誇っており、そこに日々のオモシロ日記が更新されていたため、10億ヒットを記録した個人の日記(ブログではなく、あくまでホームページとしてのスタイル)の金字塔であったのだ。
もしこの“侍魂”をご存じでない方は、以下をご参照されたし。
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/tamasiitop/robotyuugoku/robotyuugoku.htm

さてさて、やや話題がずれたが、このようにまったく見ず知らずの方に見られているということは、ある意味恐いことでもあるが、モノを書いて公開するという行為を行っている者にしてみれば、ちょっとウレシいことであった。ましてやレスポンスがあるなどとは思っていなかったので、赤面しつつもちょっと誇らしい、といった気分を味わったものである。



<第二次転機>

最初に『麺喰道』というタイトルを掲げ、『麺喰道宗主』という立場から記事を書く、というスタイルを取っていたため、実は書きたいことも多々あったが、書くことができないというジレンマを抱えていた。『麺喰道』なので、『麺』に関係ない記事は書いてはいけない、と、自分で枠を作ってしまっていたのであった。
始めてから1年ほどたったこの時期、自分の『麺』以外のネタを書きたい、という思いから、他のサービスでいくつかブログを立ち上げ、「外伝」やまったく関係ない内容として書いていた、いや、書こうとしていた時期でもあった。しかし、生来のモノグサ、一つのブログを続けているだけでも奇跡的なのに、複数のブログなどとても管理できるモノではない。
ほんのいくつか書いただけで結局休眠状態になって、そのまま放置というていたらくに陥っていった。
そこで考えた。維持するなら、やはりこの『麺喰道』しかあるまい。そして、この時期にはすでにほとんどの記事が日々の麺ネタに終始していて、どこからどう見ても『麺日記』状態であった。
そこで、苦肉の策としてサブタイトル『 (およそ麺日記)』と入れることにより、なんとなく日記として続けて行くことに対し、自分なりに折り合いを付けたのである。

そして、この時期にもう一つの転機が訪れる。

このブログを書いている「ドリコムブログ」の運営主体会社(当時の社名は失念)から、登録会員に対しメールマガジンが送られてくることになり、その中の企画として「ピックアップブログ」を紹介するということになったのであるが、その初代「ピックアップブログ」の中に、当『麺喰道 (およそ麺日記)』が選ばれたのである。
選ばれるにあたっては、事前に運営会社から打診があったが、あまり深く考えずに「選んでもらったのはウレシいので了承します」と伝えていた。やや時間がたったのですっかり忘れていたのだが、ある朝メールマガジンが配信され、その中に簡単な紹介記事とともにURLが記載され、あまつさえドリコムのログイン画面のいちばん目立つところに、他に選ばれた5つほどのブログととに掲示されることとなったのである。
その日からのアクセス数はスゴかった。それまで、あまり気にしていなかったアクセス数であったが、おそらくせいぜい10名?20名ほど、ページビューでその倍ほどではなかったろうか。それがどうだろう。紹介されたとたん、アクセス数は激増。おそらく、毎日数千のアクセスがあったのではないかと記憶している。
今では芸能人の人気ブログや有名なブログでは問題にもならない数字であろうが、所詮は無名の個人ブログ、このような反応は予想外であった。
その後当然、数ヶ月もたてばだんだんとアクセス数は落ちていき、日別訪問者数で50から100名ほど、PPVで200から300と、平凡な数字に落ち着いていくのであるが、この頃からアクセス解析のための仕組みを導入していた。それを見ると、面白い傾向が見られることがわかった。
記事が増えるにつれ、だんだんと検索エンジン経由で訪れる方も多くなるのではあるが、訪問者の直前に見ていたページの統計、つまりリンク元のほとんどが、「リンク元不詳(ブックマークなど)」となっているのである。つまり、ドコのドナタだかは与り知らぬが、この駄ブログをブックマークに入れ、時に思い出し巡回している方が少なからずいるということだ。
これについては、一部の方は見当がつく。GREEやmixiなど、小生が加入しているSNSにおいては、私のプロフィールの一部としてこのブログが表示されるようにしているので、SNSを通じてリアルに知り合った方やバーチャルながらもSNS上(やブログのコメント欄)でコメントし合ったりといった一歩踏み込んだ付き合いをさせていただいてる方々が、私の人となりをある程度知った上で「ネタ」として読んでいただいている場合があるのである。もちろんそのような方々は、実際の私が『麺喰道宗主』などと名乗って生活しているわけでもなく、あくまでブログのネタとして書いていることは重々承知だとは思うのだが、それ以外の方の中には、もしかしたら『麺喰道』が実在するナニガシかの団体であって、「小生」がそこの代表を務めているとカンチガイされているのではないかと心配するところである。(そんなやつぁいねーよ)
要は何が言いたかったかというと、ブックマークしてまで読んで下さっている方が少なからずいらっしゃる、ということである。これについては、誠にアリガタイというか、お会いできるモノならお会いして謝意を伝えたいところである。

さて、この頃からだと思うが、好きなことを書くにあたってある一定のスタイルを取るようになってきた。麺に関する日記部分はこのブログで言うところの「追記」部分に記載し、それ以外の部分は前半の「本文」部分に記載することにしたのだ。このドリコムによる「本文」「追記」という表記については疑問を持つところではあるが、あえてここでは触れまい。要するに、当ブログをトップページ(http://menkuidou.dreamlog.jp/)で開いたときに最新記事として表示される部分、つまり『麺喰道』的に言えば『マクラネタ』にあたる部分(ここが「本文」)にそのものズバリ『マクラネタ』を書き、麺に関する日記部分(ここが「追記」)に日記を書く、というスタイルである。
このようなスタイルを取ると、まずトップページから飛び込んだ場合には『マクラネタ』のみしか見えず、続きを読むには『続きを読む』というリンクをクリックしなければならず、記事にメリハリが出るという効果もさることながら、訪問者あたりのPPVを稼げる、という姑息な戦略も隠されているのだ。

このスタイル、書くようになってから意外とウケがよかったために、いつしかマクラネタをネタとして期待されるようになり、実は書く方にとってはプレッシャーにもなるが更新を続けるにあたっての陰のモチベーションとしても作用しているのだ。日々ナニかネタはないかと注意して物事を考えるようになり、見つけたネタは極力PDAに書き留めるようにしてネタ帳を作っているのである。(涙ぐましい努力・・・・(T_T))



<第三次転機>

もう一つの転機は、このブログを通じての人との出会いである。

ブログ開始早々に『みそや・堂』の大将にコメントをいただき、ビビってしまったことは書いた。半年ほどたった頃であろうか、そろそろほとぼりも冷めた頃だろうとの判断の下、ふたたび『みそや・堂』を訪れ、こそっとブログに記した。すると、待ち受けていたかのように大将からまたしてもコメントが。これを何度か繰り返しているうちに、大将側もだんだんと当たりを付けてきて、小生の面が割れるのも時間の問題となった。
このことについては、以下の記事に詳しい。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531698.html

こうして『みそや・堂』の大将ともつながりができたのであるが、その後もいろいろなつながりが生まれた。
まずは大将と邂逅したこの時期、私はGREE内で、鹿児島関連の方ともっとつながり、リアルに『飲ん方』をしたいと思い、一つのコミュニティを立ち上げていた。
「鹿児島つながりオフミこみゅにてぃー(飲ん方好き)」
それ以前にも、鹿児島在住の当時のGREEメンバーの中で、オフ会をしたいね、という話が出ては立ち消え、なかなか実現できずにいた。今でこそオフ会に参加するコトへのためらいはだいぶ少なくなったが、実はこの時私、オフ会なるモノに参加したことがなく、見ず知らずの他人が寄り合ってハンドルネームで呼び合い酒を酌み交わす、という図式がどうしても納得できずにいた。
ここでも一計を案じた。人のオフ会に行くのはためらわれても、自らが主宰して人を呼べばあまりナイーブにならずにすむではないか。
こう見えてもシャイな私、かくしてお膳立てを整え、第一回のオフ会を開催したのが2004年の11月。この時集まったメンバーは8人であったが、そのうちホントに外部から集まったのは2名ということは公然の秘密である。残りは私の友人と会社の同僚などであったのだ。
さて、第一回を開催したからには継続せねばなるまい。ナニゴトも一回限りではよろしくない。毎月はさすがにキツイので、隔月で開催しようと考えているところに『みそや・堂』の大将との出会いがあり、大将と世間話をしているウチに「ウチでも飲ん方、できますよ!」ということになり、お願いすることになった。(決定の経緯の記事も発見。http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531713.html)2回目ともなればぽつりぽつりとまったく見ず知らずの方の参加もあり、盛況となった。この時、大将も飲ん方仲間に引き入れての宴会だったため時間や予算やその他モロモロに大変便宜を図っていただき、参加者にも非常に好評だったためその後も8割方をこの店にお願いしている次第である。
(※註:その後オフ会は鹿児島中央駅近くベル通り 薩摩食堂 南洲庵へと移動し現在に至る)

このGREEの「飲ん方コミュ(略称)」のおかげでさまざまな方と巡り会うことができ、大変刺激を受けて非常に感謝している。先にも述べたようにGREE内に日記としてこのブログを設定しているので、初めての参加の方もこのブログを見てから参加されたりすれば、なんとなく親しみ(?)を感じて下さるようで、「宗主」の語り口と現実の私とのギャップに驚いたりと、話のネタとしても十分に活用している。いずれにせよ、GREEというSNSとこのブログのおかげで、普通のサラリーマン勤めをしていては絶対に巡り会うことのない、接点のない方々とも親交を深めさせてもらうことができ、大変に趣深い。

そもそもSNSを使っていろんな方とのコミュニケーションを図りたい、違う分野の方とも話をしてみたいという欲求には、実は裏があるのである。
放っておけばもともと引っ込み思案の私、自ら進んでこのような道を歩き出したわけではない。転機は社命であった。
私の所属する会社で、ある先見事例として、NPOなど民間のチカラを活用してビジネス的に成功したというものがあり、これを全国的、全社的に広げようという活動があった。そこにエントリーし、まずは市民活動に参画して勉強してこい、ということになり、実際に活動を始めたのであるが、まず気づいたのが自分の人脈の狭さであった。それまでは一般的なサラリーマンとしての生活しかしてこなかったので、知っているのは会社の人間か顧客先の人か、といった限定的なものでしかなく、いざ活動しようにもどこから手を付けてよいのか皆目わからないという始末。そこで、まずはいろんな分野の方々と知り合うため、SNSの活用、ブログの活用を思いついたのである。

このようなウラはあったが、いざいろんな方々に会って話をしてみると、その面白いこと面白いこと。知らない世界の話、その業界の裏話、違った考え方モノのとらえ方、すべてが参考になり、勉強になった。それは今でも変わらない。GREEの飲ん方コミュのオフ会も、すでに20数回を数えているが、毎回違った方の参加があり、そのたびに新しい出会い、新しい考えに触れ、刺激になる。未だにやめられない所以である。

さて、SNSの側面を語ってきたが、このブログが果たした出会いというのもたくさんある。まずはその中の一つ、姶良の軒系ラーメン『一軒目』の店主竹中茂雄氏との出会いについて。
ウマいラーメン屋があるという情報には敏感になっていた私が掴んだ情報。「姶良にウマいラーメン屋がオープンしたらしい」。
その頃と時を同じくして、会社の同僚(ブログ内にはコボ氏として登場/彼は実は第一回なんちゃってオフ会のメンバーの一人)が語った内容に、「姶良で高校時代の野球部の後輩がラーメン屋を始めたらしい」。この二つは同じ店を指していた。
そのあたりの経緯は、以下の記事に詳しい。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531695.html
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531703.html

これはその後日談。「コボ氏」の後輩とは一軒目の弟さんのことであったのだが、我々の訪問のあとにいろいろと話があったらしく、「コボ氏」から、「この前一軒目の弟から電話があって、麺喰道を書かれている方を紹介してほしい、兄が話をしたいといっている」と聞かされた。これにもビックリ。その後次回訪問した際にカミングアウトしたのであるが、そこでもいろいろと話をして、話も尽きなかったので「んじゃ、今度みそや堂で飲ん方しますんで参加しませんか?」と誘ってみると二つ返事。こうして、みそや堂の大将と一軒目の「あにょ。」氏との接点が生まれたのである。
ラーメン屋という稼業、実はお互いの店が切磋琢磨している故に意外と横のつながりがなく、一匹狼としてやっていることが多いとのことで、本音を言えば『仲間』が欲しかったのではないかと思う。そこに、兄貴分たる男気のあるみそや堂の大将という逸材が中心にいたため、すっかりその魅力に魅了された「あにょ。」氏が全幅の信頼を寄せて大将との交友関係に発展したようである。

このような出会いは再び巡ってくる。
アイアイラーメンの社長、アイちゃんさんこと久留知晃氏との出会い。
これまた数奇な出会いであった。数少ない訪問回数ながらも私の正体を見破り、アイちゃんさんが直接私に話しかけてきたのだ。「ホームページを書かれている方ですよね!」と。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51532028.html

初回の訪問時の私の記事は、ハッキリ言って酷評であった。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531588.html
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51531664.html

おそらくこの店への訪問は、見破られたときが3回目だったと思うのだが、アイちゃんさんの人を見る観察力、そして記憶力に感服である。
この時も、しばらく通ううちに例の「飲ん方オフ会」に誘い、そこで大将とにつながりが生まれたというわけである。
こうして、『みそや・堂』/『一軒目』/『アイアイラーメン』のタッグのお膳立ては整ったのである。

しかし私の介入もここまで。このあとは、アイちゃんさんの後輩だった『五郎家』の竹田店主をはじめ、その他いくつかのラーメン店主とがつながっていき、最終的には“薩州麺業連絡協議会”へと発展していったのだ。その経緯については小生は多くを知らない。しかし、「ラーメンで鹿児島を盛り上げていこう!」という意気に賛同する多くのラーメン店が加盟し、その活動の一環として日本各地で開かれている百貨店の「大鹿児島展」や「大九州展」に、鹿児島のラーメン代表として積極的に参加しているのは周知の事実である。今後も他の加盟店も含め、さまざまなイベントや仕掛けで鹿児島を盛り上げ、そして何より、うまいラーメンを我々に提供してくれるものと期待している。



<それなりの安定期>

その後の「麺喰道」は、それほど大きな浮き沈みもなく、書き手本人のモチベーションの推移に比例して記事を重ねている。いろんな他のブログなどで紹介されて一喜一憂したりといったこともあるが、割と淡々と書き続けてきた。
なにが更新の原動力であるのか?それは、まず、自分が「書きたい」と思うことである。当たり前であるが・・・・
当然、気が乗らずに書きたくない時期もある。そのようなときは無理をせず、気力の回復を待つのが常である。商売ではないので、気楽なものである。
そしてやはり、日々の食事という書きやすいネタを選んだこと、その中でも割と注目度の高い麺類をネタに選んだことの作戦勝ちな側面も否定できない。
適度に、「見られている」と意識することの緊張感も、継続するためのプレッシャーとして働いており、これもモチベーション維持の重要なファクターである。
そして、こうして4年間、1000号も記事を重ねていれば、それなりの知名度もあるのではないかと勝手に妄想し、一人悦に入っている次第である。
やはり、どんなものであろうと『継続は力なり』であることは確かなようだ。それはそうだろう、あとから始めた同じようなブログであれば、コチラが絶筆しない限り、少なくとも公開期間だけは絶対に追い越すことはできないのであるから。

実は、このブログに検索エンジン経由で最も多くヒットしているのは、ラーメン記事でも麺記事でもなく、VAIO Type-Tの分解について写真を入れて解説したたった一つの記事である。
http://menkuidou.dreamlog.jp/archives/51532117.html
この記事の訪問者だけで、日々の訪問者の1~2割程度は占めている。このように、ナニがヒットするのかまったく読めないところもネットの面白いところではあるのだが。
(※註:本記事執筆当時の状況です)


いまだに時々背筋がぞくっとする思いをするのが、相手がこのブログを読んでいるなどとはコチラはつゆ知らず、しかも相手は私が書いていると知っている場合である。SNSに公開しているので当たり前といえば当たり前だが、直接リンクしていなくても友人の友人などといった形で私を知っていて、そこでこのブログの執筆者であることもバレている場合がある。あと、話のネタで私のブログが相手に知られている場合などである。このような場合、「そういえばあのラーメン屋は・・・・」などと突発的に、なんの前触れもなく私に語りかけられたりするのであるが、普段日常生活では別にラーメン好きでも麺好きでもない、もしくはそのように公言しているつもりもない私にとっては青天の霹靂、心臓の縮み上がる思いである。コチラが知らないのに、なぜか私生活をのぞき見られているような気になって精神的によろしくない。(ネタとしてずいぶんバラしてるっちゅーの)ぜひ、お手柔らかに・・・・


さてさて、ずいぶんと多くの文字を連ねてしまった。果たしてここまで読み切った方がいるのかどうかもギモンであるが・・・・


では、明日(以降?)からは再び「宗主」として記事を再開いたします。これからもこの駄ブログの記事をご笑納下さいますよう、よろしくお願いいたします。