麺喰道 (およそ鹿児島の麺日記~ほぼラーメン)

2004年4月、広域指定ヌードルアナリスト団にしてレッツブロガーな習狂呆人「麺喰道」創設。初代宗主に任命(自分で)。 会員数約一名を誇り、全国規模の布教活動のため当blogを開設。 麺喰の道を究めんと、らーめんうどんそばぱすたそーめんきしめんやきそばちゃんぽんに春雨と、あらゆる「麺状」の食を追求。(ついでに言うなら餃子も焼売も『麺』と認定) オススメ、リンク、コメントにトラバ歓迎。 ある日突然、アナタの店にこっそり現れ、「麺」を食して勝手な記事を書いているかも・・・

#麺処恭や

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6年ぶりww!麺処恭や(2023/03/29)



先日

B777の退役の話題




を振ったところであるが今度は

桜島フェリーの退役

の話題。


ジモティにとってはイマサラ
誌すべきこともないが
桜島フェリーの概要は以下の通り。


桜島フェリー(さくらじまフェリー)は、
鹿児島県鹿児島市本港新町にある
鹿児島港(桜島フェリーターミナル)と
同市桜島横山町にある
桜島港との間を結ぶ公営のフェリー。

地方公営企業法の全部が適用される
地方公営企業である
鹿児島市船舶局(かごしましせんぱくきょく)が
運営している。
かつては鹿児島郡桜島町が運営していたが、
2004年に桜島町が
鹿児島市に編入されたのに伴い
鹿児島市が運営することとなった。

鹿児島市街と桜島を結ぶ役割のほか、
薩摩半島と大隅半島を結ぶ海上交通機関
としての役割も果たしている。
活火山である桜島の火山災害発生時には
救難船舶としての役割も果たす。

[Wikipedia "桜島フェリー" 項 2023/03/29 採取]



現在は

第十五櫻島丸(チェリークイーン)
第十六櫻島丸(ドルフィンライナー)
第十八櫻島丸(プリンセスマリン)
桜島丸(サクラエンジェル)
第二桜島丸(サクラフェアリー)

の5隻体制で運航しているが
この3月末をもって
最古参の

第十五櫻島丸(チェリークイーン)

Dai_15_sakurajima_maru

Dai15Sakurajimamaru


が退役する。

この船が就航した際には
その他の

ガンタレフェリー

の中にあって際立っており
新しい時代を感じたものだ。

就航から28年が経過したとはいえ
まだまだ現役で頑張れるとは思うのだが
今回は

経費削減のための減船

である。


かつての桜島フェリーは
鹿児島市と旧桜島町を結んでいて
桜島の東側の旧東桜島村
鹿児島市に属していたが
西側、鹿児島市に面する旧桜島町
桜島フェリーの収益で潤っており
自主独立を貫いてきたのであるが
ついには市町村合併の波には抗えず
鹿児島市に編入されたという歴史を持つ。

昔の旧東桜島村は鹿児島市の飛び地だったのだ。

そんな歴史を紐解きつつ。


今回のチェリークイーンの退役に合わせ
最終就航日に
桜島フェリー上でうどんを供する
やぶ金
が粋な計らいをするという。



桜島フェリーとやぶ金についての詳細は
以前誌したこちらの記事を参照願いたいが




とにかく
かごんまの民は

フェリーに乗ると
うどんを食さなければならない
強迫観念にさいなまれる


コトは間違いない事実だ。
( ・`д・´)

オマエがナー


そんなわけでよろしければ
チェリークイーンの最後の雄姿を
うどんをすすりながら

まぶたに焼き付けていただきたい。


小生はこういう
人が集まるようなイベント
には一切近づかないからな。
(。-∀-)


そんなヒネクレもののタワゴトはさておき。


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激アツ!麺処恭や郡元店で辛ネギラーメン(2017/09/13)



これまでも何度か
マクラのネタにしたので
ご存じの向きも多かろうが
小生

PHSユーザ

であった。


PT-H50
(最初に買ったピッチAIWA PT-H50)


というよりは、
最初期の個人用ケータイ電話
といえば
『簡易型携帯電話』
とも呼ばれた

PHS

が主流であった。

サービス開始当初は
一般的な携帯電話
月額料金も通話料も高く
庶民には高嶺の花
だったのである。
(主に企業向け)

そこに現れた
『簡易型携帯電話』
は通話料も公衆電話並みに安く
音質も公衆電話(ISDN)並みにクリアで
通信速度も(初期ケータイに較べ)速く
なんといってもキャリアが
回線数を増やさんがために

端末料金をタダにして
契約手数料も無料


などといったムチャな戦略をとったため
爆発的に普及した。

これが1995年頃のことである。

当初の事業者は3系統あり

NTTパーソナル
DDIポケット
アステル


がそれぞれ地域ごとの事業者を持ち
サービスを展開していた。

小生はこのうちの
KDDI系列である

DDIポケット九州

のユーザになったのである。


当時は

『ピッチ』
(ビッチぢゃないよ)

と呼ばれ、それまで主流だった

ポケットベル(ポケベル)

の市場を蹂躙し、
特殊用途を除いては
ポケベルをあっという間に
駆逐してしまった。


しかしその後、
ケータイ電話の巻き返し
がはじまり
ピッチの弱点である
通話が切れやすい
サービスエリアが狭い

などの弱点を突き、
価格も下げてきたために
ユーザが一気に
ケータイに乗り換え
ピッチの優位性は崩れ去ったのである。

そうして事業者の
NTTパーソナル勢
アステル勢

が撤退、
DDIポケットのみが存続して
現在の

 Y!mobile 

へと受け継がれているのである。


小生も途中ケータイを導入したが
かなり長い間

ケータイとピッチの2台持ち

であった。


ケータイには通話エリアの広さ
ピッチにはデータ通信と通話料の安さ
それぞれ魅力があり

通話を受けるときはケータイへ
かけるときとデータ通信はピッチから


と使い分けていたのである。


先日の記事にもしたためた

 ウィルコムW-ZERO3 

の系譜を受け継ぐ
黎明期のスマホ
をPHSで使っていたことも
大きな原因であった。


しかし、日本に

Xperia

が導入されてAndroidによる
スマートフォンの時代が始まると
そちらへと切り替えて
ピッチはの契約は
終わりにしてしまったのである。

たぶんそれが
2010年・・・・


そう考えると

15年もの長きにわたって

ピッチユーザだったのだなぁ・・・・(´д`)
(ちなみにドコモは現在連続で19年8ヶ月契約)


そんなおっさんの回顧録はさておき。

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