これまでも何度か
マクラのネタにしたので
ご存じの向きも多かろうが
小生

PHSユーザ

であった。


PT-H50
(最初に買ったピッチAIWA PT-H50)


というよりは、
最初期の個人用ケータイ電話
といえば
『簡易型携帯電話』
とも呼ばれた

PHS

が主流であった。

サービス開始当初は
一般的な携帯電話
月額料金も通話料も高く
庶民には高嶺の花
だったのである。
(主に企業向け)

そこに現れた
『簡易型携帯電話』
は通話料も公衆電話並みに安く
音質も公衆電話(ISDN)並みにクリアで
通信速度も(初期ケータイに較べ)速く
なんといってもキャリアが
回線数を増やさんがために

端末料金をタダにして
契約手数料も無料


などといったムチャな戦略をとったため
爆発的に普及した。

これが1995年頃のことである。

当初の事業者は3系統あり

NTTパーソナル
DDIポケット
アステル


がそれぞれ地域ごとの事業者を持ち
サービスを展開していた。

小生はこのうちの
KDDI系列である

DDIポケット九州

のユーザになったのである。


当時は

『ピッチ』
(ビッチぢゃないよ)

と呼ばれ、それまで主流だった

ポケットベル(ポケベル)

の市場を蹂躙し、
特殊用途を除いては
ポケベルをあっという間に
駆逐してしまった。


しかしその後、
ケータイ電話の巻き返し
がはじまり
ピッチの弱点である
通話が切れやすい
サービスエリアが狭い

などの弱点を突き、
価格も下げてきたために
ユーザが一気に
ケータイに乗り換え
ピッチの優位性は崩れ去ったのである。

そうして事業者の
NTTパーソナル勢
アステル勢

が撤退、
DDIポケットのみが存続して
現在の

 Y!mobile 

へと受け継がれているのである。


小生も途中ケータイを導入したが
かなり長い間

ケータイとピッチの2台持ち

であった。


ケータイには通話エリアの広さ
ピッチにはデータ通信と通話料の安さ
それぞれ魅力があり

通話を受けるときはケータイへ
かけるときとデータ通信はピッチから


と使い分けていたのである。


先日の記事にもしたためた

 ウィルコムW-ZERO3 

の系譜を受け継ぐ
黎明期のスマホ
をPHSで使っていたことも
大きな原因であった。


しかし、日本に

Xperia

が導入されてAndroidによる
スマートフォンの時代が始まると
そちらへと切り替えて
ピッチはの契約は
終わりにしてしまったのである。

たぶんそれが
2010年・・・・


そう考えると

15年もの長きにわたって

ピッチユーザだったのだなぁ・・・・(´д`)
(ちなみにドコモは現在連続で19年8ヶ月契約)


そんなおっさんの回顧録はさておき。

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