お勝手

 なんちゃら何日間チャレンジ 

Day3。


2日目はこちら。





今回からはクルマのお話し。


入学するまでは
紆余曲折
があったが、大学生活は
つつがなく4年で終了。


しかし、実験系の学部学科であったため
3年の後半から4年で卒業する前日まで
連日連夜実験に追われ
ロクな就職活動もせずに
現在の会社に転がり込んだ。


就職したならばクルマも欲しいと
初めて購入したのがこちら。


 HONDA BEAT(PP1) 


BEAT
(乗車期間:おそらく1992/05~1997/11)


とにかく楽しいクルマであった。

色はまさしくこのカラー
カーニバルイエロー
であった。


前回の事故って廃車になった
CBR250R
とは一時期ダブっている。



それまでは免許取得後
実家のクルマに乗っていて
それがAT(オートマ)であったため
MT(マニュアル)に乗るのは初めて。

もちろん当時は
AT限定免許
などという制度もないころであったから
教習車はみなMT車で、
あえて「AT教習」という時間が
あったように思う。


何しろ軽自動車ゆえ
エンジンのトルクも細く
スタートには少々気を使わねば
あっという間にエンストしてしまう
(そもそも今どきエンストなど知らんのではなかろうかww)
非力な低回転トルクであったが
ぶん回せば元気に走り回り
並みのクルマに負けることはなかった。


エンジンを座席背面に担いだ
MR(ミッドシップ)
構成であったため
エンジンをギャンギャン回せば
室内にもギャンギャン響き渡りww
おかげで走らせている本人は
すっかりその気になる。

室内がウルサくなるのは織り込み済みで
純正のオーディオ
スカイサウンドコンポ
はエンジンの回転に合わせて
ボリュームも自動で上がる
設計となっていた。


しかし所詮軽自動車なので
その範疇でしか走らず
リミッターを解除しなければ
確か
110km/hで燃料カット
の規制がかかるという
高速道路では恐い思いをする
クルマであった。
(当然リミッターは解除した)


このクルマでは一回、
真夜中の入来峠で事故ったことがあった。

鹿児島市方面に向かっての下り坂で
当時舗装工事をしている右カーブがあり
けっこうなスピードで下っていて
そのまま砂利道に突入
後輪が滑って回転し
逆ハンを切って立て直しを図ったが
クルマが右に90度横を向いたまま
路肩の側溝のコンクリートの角

(舗装工事前のため砂利面より10cmほど高くなっている)
に横滑りしながら激突
前輪二本ともバーストし
キャンバーがハの字に開いてしまい
走行不能に。

当時はケータイではなくPHSを持っていたが
そんな山奥でつながるはずもなく
なんとかダマしダマしクルマを走らせ
ようやくのことで公衆電話に駆け込み
友人に迎えに来てもらった。

クルマはタブンディーラーに依頼して
運んでもらったのではないかと思う。

足回りは修理しないと
どうにもならなかったので
泣く泣く修理代を払ったが
当時軽自動車に初めて搭載された
ハンドル内蔵式エアバッグ
動作してしまい
その交換までは予算が回らなかったので
1年ほどエアバッグが抜けて
Hの字に裂け目の入ったハンドルで
運転したのを覚えている。

ようやくエアバッグの修理をしたが
事故の影響なのか
どうも前輪の剛性が足りなく感じたので
フロントスタビライザーを装着したところ
劇的にクルマのハンドリングが俊敏になった。

その他替えたパーツといえば
マフラーを交換した。

FUJITSUBOのレガリス
という
一見4本出しに見えるマフラー。

三気筒エンジンなので
4本出しというのもヘンだが
実は2本出しで
先端のみ二つに分かれていて
4本出しに見えた。

その二つに枝分かれした部分も
フクザツに取り回されているという
何とも凝った構成のマフラーであった。

当然、エンジン音は重低音増しに。


実はこのクルマには
エンジンの後ろに
トランクとも呼べないような
小物入れ的な部分があったのだが
オプションのCDチェンジャーをそこに搭載すると
半分はチェンジャーが占めてしまい
残りの部分にはちょうど
ティッシュ一箱が収まる位のスペース
しかなく
荷物の積載性はゼロに等しかった。

一人で乗っているときはそれでも
助手席に荷物を載せればナントカなったが
二人乗りではいかんともしがたかった。


乗車スタイルは
まさに地を這っているゴーカートのようで
信号待ちでダンプカーなどの隣に止まると
そのタイヤが見上げるように見えたものだ。

先にも書いたが
乗っている分には
あまりにも楽しいクルマであったが
あまりにも楽しすぎて

「こんなに楽しかったら
このまま死んじゃうんじゃないか」

と危惧し始め
そろそろ
落ち着いたクルマ
に乗り換えようと
模索していたところ
次のクルマに巡り会ったため
ようやく手放した次第である。

5年半乗った車の下取りが
人気車種ということもあって
思った以上の値段が付いた
というのも
乗り換えを後押しした要因であった。


ということで例によって
思い入れが強いクルマのために
長大になってしまった
クルマ遍歴の披瀝はさておき。




今日も今日とて

 みなと大通りクリニック 
(鹿児島市役所真ん前)

にリハビリへ。


あ、土曜日の話ですがww


終わったのが11時頃になり
さて、せっかくなのでどこかでお昼を。


たまには
鹿児島田舎そばをすすりたいなぁ。


ということでこちらへ。


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 泉石蔵 





道の駅的に
地域の物産館も兼ねているため
そろそろ夏野菜がでているのではないかと
見に行った次第であるが
残念ながらまだたいしたモノは見あたらず。

まぁよい、今回はそば目的だww


こちらの店もご多分に漏れず

『新しい生活様式』

とかいうスタイルを踏襲し
レジ前にビニールが。


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そばの食券(?)を購入。


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茶は、準備されている急須
自分でパックの茶葉をいれ
お湯を注いで持っていくセルフ方式。


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今回のように一人ならば
急須には半分ほどで十分。
(このおばちゃん、ダレ?)

それでお茶が二杯は飲める。


泉石蔵 - Spherical Image - RICOH THETA



以前は長テーブルの両側面
配置されていた座席が
片側ぜんぶ撤去されて
すべて壁に向かう席のみになり
しかも間隔を開けて座るよう
【×】
が書かれた紙が一座席おきに貼られていた。


ちょっと神経質すぎるんじゃないかと
思わざるを得ないが
今のご時世致し方なし。


さて、71番と呼ばれるので
木札を持って受け取りに。


すると、受け取り口の横に
開店して間もなく売り切れるという

伝説の野菜天ぷら

が置かれていたので
100円玉と交換でコレを所望。

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やったぁ!ヽ(´▽`)/


さて、自席に戻り

いただきます。


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ダシをひとすすり。


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うんうん。

カツオとコンブとシイタケ
であろうか。

小生のイメージする

鹿児島イニシエ系田舎そば

のまさしくその味。


醤油のほの甘さも絶妙。


そばも

鹿児島イニシエ系田舎そば

の定石通りに

そばがきを伸して切っただけ

的なボソボソと千切れ
歯ごたえもないに等しいような
そんな味わい。


やはり
鹿児島イニシエ系田舎そば
はこうでなくては。
(。-`ω-)


野菜天ぷら
まだほんのりと温かく
ダシに沈めて食べると
コロモがダシを吸ってよい塩梅。

ピーマン
ニガウリ
ナス
カボチャ


ガネ
(イモの細切り天)

とボリュームたっぷり。




以前は取りホーダイだった
漬け物やサラダも
事前に盛り合わせとして付けられていた。


鹿児島イニシエ系田舎そば

の定番である

 ちけ揚げ 
(つけ揚げ;もしくはさつま揚げ)

は魚の小骨まで擦り込んだ
断面は灰色ながら味わい深いもの。

上品なお土産品の

『さつま揚げ』

とは一線を画する味わい。



いやいや、満足いたしました。


ごちそうさまです。


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食後は卓上のふきんで自席を拭い
颯爽と席をあとに。


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泉石蔵をでながら
そういえば先日の南日本新聞の記事だったか
この近くの

鹿児島都市農業センター

睡蓮が見頃と書かれていたのを思い出し
そぼ降る雨の中少々散策に。


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この睡蓮の幼芽がジュンサイかと思っていたが
別の種類なのか。
(*´・ω・)

またひとつカシコクなってしまった。



ということで
睡蓮の時期はそう長くはないと思われるので
気になる方は

鹿児島都市農業センター
第4駐車場のさらにその先
水生植物園

を目指されたい。