最近ふと思うこと。
ワレワレ昭和世代は
思考があくまで文字・言葉ベース
なのに対し
最近の若い連中は
思考が映像ベース
なのではなかろうか。
ワレワレ昭和世代がモノを考えるときには
常にアタマの中で
文字ベースの言葉で考えている
ように思う。
少なくとも小生の場合。
思考をアタマの中で
声に出して音読して考えている
と言ってもよいのではないか。
そのため、目から
ナニかの情報が入ってきたときには
まずそれを言葉、文字に変換している。
漫然と世の中を眺めていても
ひとつひとつに文字を関連付けていると思うのだ。
「あ、桜島、噴煙が上がってるな。
天気は晴れだ。
波も穏やかで船がいる。
灯台の近くにはカモメが群れているな。」
などなど。
・・・・いやいや、
お絵描きばりぐっどくん
だいぶ端折っとるやろ。
船、どこ?
(*´・ω・)
もちろん、直感的に
即座に判断しなければならないときなどは
いちいち文字変換している場合ではないので
経験に基づいたカン
によって判断するのだが
そのベースになっているのは
アタマの中に渦巻く
文字ベースの情報体
(データベース)
なのではないかと思う。
そのため、おっさんになればなるほど
文字からの連想で引き起こる
ダジャレ
が多く出てくるような気がする。
それに対し若い連中は
どうも
アタマの中で映像ベースで
モノゴトを判断しているのではなかろうか。
これは、幼少のみぎりに
文字ベース(本)を見て育ったか
テレビなどの映像を見て育ったか
といった環境によるところも大きいと思う。
ただ、思考を深化させるような場合には
文字による思考の方が
より網羅的・広範囲に考えられるような
気がするのだが。
そんなダジャレ好きのオッサンの言い訳はさておき。
午前中に
鹿児島流通センターの客先
で打ち合わせ。
終わったのが11時半なので
そのまま昼食でも摂るか。
こちらで。
味処 八雲
のれんの上にかかる
黒ずんだ木の板に書かれた店名は
そう読めた。
こんなところに食堂があったのか?
(ºωº )
と思えるような
流通団地の端っこ。
実は以前このあたりをドライブ(?)していて
見つけていたお店であった。
鹿児島で『八雲』といえば
上荒田にあった
純東京 手打生蕎麦 八雲
を思い出すところである。
実はこのお店は現在でも
お店だけはビルの狭間に現在でも残っている。
建物は残っていても
人の気配はなく。
(゚ーÅ)
さてこの流通団地という場所は
1985年頃から開発されたと思われ
その頃原チャリでやってきては
ただただだだっ広い空き地のまわりに
整備された道路を
原チャリで走り回ったり
ロケット花火を打ち合って遊んだり
したものである。
なにせ、ヒトもいなかったからな。
(*´・ω・)
ということはこの店などは
その時代以降にできたはずなので
まぁ、店歴30数年というところであろうか。
↑
十分古いですがなww
さて、入店。
入って右手にテーブル席
左側は小上がりの座敷。
テーブル席へ。
味処八雲 - Spherical Image - RICOH THETA
えーっと、メニューは・・・・
あれ、値段が書いていないな。
時価!?
Σ(゜∀゜;ノ)ノ
と思って反対方向に目を向けると
あぁ、セットメニューとかあるじゃないの。
しかもお安いんじゃございませんこと!?
ん~、やっぱりここは
めん類セット
に行くべきかと。
(。-`ω-)
ん~、なんにしようか・・・・
と悩んでいると
おかーさんが冷水を運んできて
「このメニューを」
と卓上のメニューを差し出してくれる。
あ、メニューあったんかww
( ̄∇ ̄*)ゞ
じゃぁ、めん類セットのなべやきで。
なべやきがあるだけでもウレシイのに
うどん類は一律同じ値段である模様。
安い・・・・(*´ω`*)
店内に掲示されている
営業許可証
からも店名は
味処八雲
であることが確認できた。
さて、しばしのちに。
来ました!!
小鉢とは冷や奴(Cool Guy)のことで
漬け物付き。
ふたをパカッと。
まだナベ肌の部分はグツグツと言うとる。
では、いただきまーす。
ダシをひとすくい・・・・
って、当然のことながらたぎっておる。
フーフーしながらすすってみると
おおっ!!!!
なんたるエッヂの効いたカツオダシ!!
なかなここまで
ガツンと効いたカツオダシ
をひく店は少ない。
塩分濃度はさほどでもないのだが
強く薫るカツオ節の薫香
あと引くほどのダシの味わい。
合わせる醤油はちょっぴり甘めであるが
鹿児島にしてはそこまで甘くない。
うどんはしっかりと煮込まれていて
コシは完全にヘシ折られており
ユルユルのふるふる。
箸に巻いて写真を撮ろうとすると
スマホを構えているうちに一本、二本と
うどんが千切れてしまったww
鹿児島田舎そばが
靱性がないためにプッツリと千切れる
のに対し
こちらのうどんは
徹底的に煮込まれたがために
すっかりうどん本来のコシが
失われている
のであった。
よいよい。
なべやきうどんのうどんはこのぐらいでなければ。
するするジュルジュル
ワシワシぱくぱくと
あっという間に完食完飲。
もちろん熱い土鍋であっても
口をつけて最後までいただく所存。
美味しゅうございました。
ごちそうさまです。
なかなかこういう
昭和の風情が残る食堂
というものも失われつつある昨今
長く続けてもらいたいお店だ。