現在では
ありとあらゆる情報が
ネット上に溢れている。
これは、誰もがみな
発信者となって情報を発信できる
SNS
(ソーシャルネットワーキングサービス)
の台頭の恩恵に他ならない。
SNSが発展する前は
情報発信者と情報受信者
がハッキリと分かれていて
がハッキリと分かれていて
情報発信者はソレナリの
教養と適性を要求され
覚悟と規律の自覚を持ち
その対価として高給を取り
教養と適性を要求され
覚悟と規律の自覚を持ち
その対価として高給を取り
つまりは
情報発信を生業とする職業
(マスコミ、ブン屋など)
が成り立っていた。
(マスコミ、ブン屋など)
が成り立っていた。
しかし、SNS発展以降は
この境目がアイマイになり
だれでも情報発信できる
すなわち
情報を発信することに対し
なんの検閲も受けず
なんの制約もなく
つまり
ウソでもデマでも
クソもミソも一緒くたに発信され
受け手にそれを峻別する能力がなければ
あっという間にダマされてしまう。
つまり、現代においては
情報を受ける側に
ソレナリのスキルと教養が必要
なはずなのだが
なはずなのだが
とてもそれらが機能しているとは思えない。
受け手は無防備なままで
情報をザラザラと上から振りかけられて
峻別しないまま洗脳されていくのだ。
これは、情報の受け手だけの問題ではない。
本来情報を要不要で振り分け
価値のある情報のみ選り分けて
そこに独自の解釈や解説を付け
受け手に提供するという
発信者の矜持
というものは
現在のマスコミには
微塵も感じられない
のは残念だ。
のは残念だ。
かのタモリ氏が現代を
「あたらしい戦前」
と評したのはナルホドと得心するところだが
かつて日本が
第二次世界大戦に突き進んでいったときと同じく
マスコミが政権に対する論評・批判機能を失い
スポンサーや利害関係者に忖度して
モノを言わなくなり
逆に政府のイヌとなって世論を誘導する。
ギャンギャン向かって吠えるのは
ビッグモーターとか叩きやすい
水に落ちたイヌのみ。
そのうち、
ナニ一つ民意による
信託も審判も受けていないくせに
信託も審判も受けていないくせに
日本を牛耳ったと錯覚し
官僚が用意したメモなしには
自分のコトバでマトモに喋れず
そのコトバすら
「えー、」
とか
「あー、」
とか
場つなぎのコトバに終始し
まったく響いてこない『ヤツ』が
いい気になって日本を破滅させると
確信する。
『ヤツ』は
すべて自分が正義
「やってやったぜ!」
と根本からカンチガイしているので
ゼッタイに正すことは不可能だ。
コトバ以外では国民を動かすことはできないくせに
そのコトバに1ミリも重みのない
やることなすこと世の中を
疲弊させ消耗させるだけの
カンチガイも甚だしい『ヤツ』を早く滅せよ。
はやく『ヤツ』を始末しなきゃ
『ヤツ』の棄民政策で
日本は滅ぶよ?
ぜんぜん違うことを書こうと思っていたのに
『ヤツ』の顔がチラついたら
イラッとしてしまって
こんなコト書いてしまった。
Σ(´∀`;)
そんな『ヤツ』が
芯から
真から
心から
深から
大嫌いな件はさておき。
芯から
真から
心から
深から
大嫌いな件はさておき。