実家のクルマ遍歴ご開帳シリーズ。
三回目。
前回はこちら。
プリンス自動車工業の流れを汲む
日産チェリー
に乗っていたが長続きしなかったんでは?
というオハナシ。
お次のクルマは。
実はここから小生の
ホンダ人生
が始まっているのだ。
そのクルマは。

ホンダ アコード
チェリーから乗り換えたのは
まだ発売されて間もない頃だったと思われる
初代アコードのハッチバック型。
色はたぶんシルバーだった。
あー、この頃から
クルマに対する興味が芽生え
両親の運転をつぶさに観察し
クラッチ操作やギアチェンジなどを
イメージトレーニングしていた。
「曲がるときハンドルどのくらい切るの?」
とか
「アポロ(ウィンカーのこと)いつ出すの?」
とか
「へー、ギア変えるときにクラッチ踏むんだ」
とか。
当然当時はMT車だ。
また、運転が上手だと自慢するお袋氏が
免許取るときに教習所で
一枚もチケット切らなかったと
豪語していたので
小生もゼッタイに
チケットは切らぬ!
( ・`д・´)
とココロに決め
実際クルマの時もバイクの時も
一枚も切らずに車校を卒業した。
(。-∀-)
そんなわけで
ここからのクルマは
細部の写真を見ると
何となく覚えている。
だがしかし。
このクルマも短命だったかも。
やはり以前のチェリーと同じように
ボディ各所がサビて
一度は板金塗装でサビを塞ぎ
色も塗り替えたと思う。
以前のチェリーのような
ワインレッド色だった。たぶん。
結局その後乗り換えたのは

二代目アコード。
これは少々長く乗ったのかも。
色もこの茶色っぽいヤツ。
だがしかし
結局はドアのサッシの隙間から入った
落ち葉とかがドアの内側にたまり
そこからサビて終わったのではなかろうか。
乗り換えたのは
ハイ、予想は付いたと思うが。

三代目アコード。
色はこの白だった。
このクルマから小生が免許を取って
親から借りて乗っていたりしたので
よく覚えている。
大学時代は主にバイクに乗っていたが
時間がある日に雨が降ったときなど
このクルマを借りてバイト先まで通っていた。
そんなある日。
その日は夕方のラッシュ時間帯で
クルマの動きもゆっくりとしていた。
それなりの車間距離を取って
産業道路を谷山方面に進んでいたとき。
はるか前方を
右から左に向かって
柴犬ぐらいのイッヌが
車列の間を駆け抜けていき
驚いてブレーキを踏んだ。
だが、50mほど先のことで
他のクルマはほとんど気づかずに
進行していたところ。
右側の反対車線の車列の間から
先のイッヌを追っていたと思われるイッヌが
突然現れ
小生のクルマのバンパー下に潜り込んだ。
あっ!!
と思う間もなくイッヌはクルマの下に。
ブレーキを踏む間もない。
バンパー左下付近に
ガコッ!
という衝撃があり
「どキャンキャンキャンキャン・・・・」
というイッヌの悲鳴が聞こえたが
それは左後ろに
ドップラー効果
とともに消えていった。
一番右側の車線を進んでいたので
おそらくその後左車線二車線ぐらい
無事に駆け抜けていけたとは思えぬ。
なにしろ、その後
クルマのバンパーを見てみると
左側がガコッと下がり
ウィンカーレンズは割れ
伸縮式コーナーポールは
もう再び伸びなくなってしまった。
(つд`)
修理してもバンパーは左下がりから
直らなかった。
そんなこともありつつ
乗り換えた次のクルマは。
実は四代目を飛び越えて

五代目アコード
であった。
どんだけアコード好きなんか
っちゅうハナシですわ。
まぁ、その後小生が
六代目アコードを選んだ
というのも
必然であったかも。
この五代目は
先代と打って変わって3ナンバーとなり
なんともアメリカンな
モッサリとしたテイストであったが
まぁまぁよく走った。
そんな次が
実家の終のクルマな件はさておき。