本日は
8月6日。
32年前、1993年8月6日(金)。
鹿児島は集中豪雨に見舞われていた。
いわゆる
【86水害】
である。
当時まだペーペーの若造だった小生は
フツーに勤務していた。
かなり以前から長雨が続いており
今日も雨がひどいなぁ
ぐらいにしか思っていなかったのであるが。
夕刻、顧客から電話が。
「水に浸かりそうなんでストコン
(ストアコンピュータ)
棚の上に上げてもいいですかね?」
電話を取ったPOSレジ担当の社員が
そう伝えてきたが
その店は城西の
けっこう甲突川から離れた場所にあり
そこが浸水とかどういうこと?
ぐらいしか思っていなかったのであるが。
その後、アチコチの顧客から
電話がかかってきて
世の中はなんだか
のっぴきならない情勢
になっているのではないかと思われた。
会議室に設置されていたテレビを点けると
ニュースで各地の状況を伝えてきていたが
そもそも取材陣が出かけたまま帰って来れず
大した情報はなかったが
どうもヤバげな雰囲気。
弊社は鴨池新町にあり
ビルから眼下を眺めると
騎射場方面に向かう帰宅ラッシュが
まったくクルマが動かず。
こりゃ帰れないかも
と思っていたが
夜9時頃になって
雨も止んだし眼下のクルマも
いつの間にかいなくなっていた。
ラッキー、帰れる!
とクルマを出して帰宅の途に着いたが
騎射場の電車通りを渡るとき
冠水していてクルマが一瞬浸かったが
そのまま鹿大方面に抜けられ
無事帰宅。
当時実家は荒田一丁目だったが
家に帰り着く前に見えた
中洲本通りがなぜかキラキラと
光って見えていたのが気になった。
そのまま帰宅して晩メシを食したあと
そういえば中洲本通りが
キラキラしていたなぁと外に出て見ると。
まぁ、なんということでしょう!
実家の前の道路も冠水しており
玄関のたたきのホンの下まで水が来ていた。
サンダルに履き替えて
ほんの100mほど先の
中洲本通りに出てみると。
ありゃー。
(゜ロ゜屮)屮
中洲本通りが轟々と
川になっているではないですか!!
普段クルマが通る路面はまったく見えず
横を流れる荒田川の橋桁が見えるのみ。
ポカ───(´゚д゚`)───ン
なんだこりゃ・・・・
自宅に帰ってお袋氏に伝え
きっとこりゃ水が出なくなると
風呂桶一杯に水をため
近くのスーパー『タイヨー』に
ペットボトルの水を買い占めに走る。
まだ店は開いており
しかもこんな状況のためか
ほとんど客はおらず。
けっこうな量の水を買い占めた。
だが、実家においては
それ以上の被害はなく
翌日を迎えたのであるが。
翌日のニュースはまぁヒドかった。
国道3号線は甲突川が溢れ
ドロによって完全に埋没。
まっ茶色に泥に染まった道路に
置き去られたクルマが横転したりと
とにかく悲惨な状況。
天文館では地下に浸水し
地下のお店は全滅
この機に乗じて夜逃げした店もあったと聞く。
あとになってイロイロと聞けば
笑い話もあった。
その日は金曜日だったため
飲みに出ていた弊社社員もいたようで
天文館でどんどん水かさが増し
ついには腰まで浸かるような状態になって
「お客さん、そろそろ・・・・」
と店主が声をかけると
「あ、もうすぐ迎えが来るから」
と平然と飲んでいたという逸話が。
ホントかどうか知らんが
そんな腰まで浸水するようなところに
誰がどうやって迎えに来るというのだww
国道3号線沿いの友人宅は
1階の半分まで浸水して
ご両親はピアノの上に登って難を逃れたとか。
ちょうど帰省していた同級生が
その二日後ぐらいに東京に帰るからと
クルマで空港まで送ることを頼まれ
国道10号線は竜ヶ水が土砂で埋まり
高速道路も崖崩れなどで通行止め
裏道を辿って辿って
鹿児島空港まで送り届けたが
途中渋滞する崖下では
崖から水がシャーシャーと
滝のようにあふれ出してきていて
恐かったのを覚えている。
自宅においては
被害と言える被害はなかったが
風呂桶に水をためていたにもかかわらず
ついに断水することもなく
台地の上の団地などが
何ヶ月も難渋していたのに
水まで買いだめしてしまって
申し訳なく思ったものだ。
あー。
その【86水害】からももう
32年か。
今年は梅雨明けも爆速で
その後あまり雨も降らない状態。
明日からは少し雨のようだが
年によって違うものだなぁ。
これも地球温暖化の影響か。
(・`ω´・。)
そんなイキナリな結論はさておき。




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なんか『タイタニック』感あるな
Bingくんww
































券売機


















































