最近ふと思うこと。
ワレワレ昭和世代は
思考があくまで文字・言葉ベース
なのに対し
最近の若い連中は
思考が映像ベース
なのではなかろうか。
ワレワレ昭和世代がモノを考えるときには
常にアタマの中で
文字ベースの言葉で考えている
ように思う。
少なくとも小生の場合。
思考をアタマの中で
声に出して音読して考えている
と言ってもよいのではないか。
そのため、目から
ナニかの情報が入ってきたときには
まずそれを言葉、文字に変換している。
漫然と世の中を眺めていても
ひとつひとつに文字を関連付けていると思うのだ。
「あ、桜島、噴煙が上がってるな。
天気は晴れだ。
波も穏やかで船がいる。
灯台の近くにはカモメが群れているな。」
などなど。
・・・・いやいや、
お絵描きばりぐっどくん
だいぶ端折っとるやろ。
船、どこ?
(*´・ω・)
もちろん、直感的に
即座に判断しなければならないときなどは
いちいち文字変換している場合ではないので
経験に基づいたカン
によって判断するのだが
そのベースになっているのは
アタマの中に渦巻く
文字ベースの情報体
(データベース)
なのではないかと思う。
そのため、おっさんになればなるほど
文字からの連想で引き起こる
ダジャレ
が多く出てくるような気がする。
それに対し若い連中は
どうも
アタマの中で映像ベースで
モノゴトを判断しているのではなかろうか。
これは、幼少のみぎりに
文字ベース(本)を見て育ったか
テレビなどの映像を見て育ったか
といった環境によるところも大きいと思う。
ただ、思考を深化させるような場合には
文字による思考の方が
より網羅的・広範囲に考えられるような
気がするのだが。
そんなダジャレ好きのオッサンの言い訳はさておき。