以前もどこかで書いたと思うが
小生、大学時代は

塾の講師であった。


(その前には個人的な家庭教師もしているw)


人よりも長く浪人生活を送ったので
とにかく大学に入ったらバイトをして稼ぎたかった。


入学早々バイクを買って
そのローンを抱えてしまったからなww





小生、どちらかといえば
饒舌なタイプではなく
放っておけば

1週間でも2週間でも
誰とも喋らなくても
なんの苦も感じない


ぐらい寡黙なタチであるが

話すネタがあれば
ネタが尽きるまでしゃべれる


という側面も持っていた。


この傾向は幼少のみぎりからであったらしく
幼稚園の卒園のときに書かれた
先生からのおコトバも

「ものしり博士」

だったことからもうかがい知れよう。
( ;∀;)

知ってることは語りたがりww




よって、塾の授業でも
興が乗ってくると

「掴んだ!」

と手応えを感じることができるぐらい
グイグイ授業を引っ張っていくことができた。
(と思うww)


もっとも小生
塾の講師をするまでは

他人の人生には極力干渉しない
いや、したくない


と考えていた。


自分の人生すらままならないのに
他人にどうこう注進したり
意見したり
ましてやその人の進路に干渉するなど
まっぴらごめんと思っていたからである。

しかし、塾の先生ともなると
進路の相談に乗ったり
励ましたり焚き付けたりと

他人に干渉せずにいることなど
土台無理な話であったww


塾のバイトをしていた当時は
夕方からタンニャマの塾までバイクを走らせ
夜の10時頃まで授業をして
それから生徒が帰るまで質問に答えたりし
さらにそのあとプリントを切り貼りで作ったりと
帰宅は12時を過ぎることがザラ。

たまに他の先生達とカラオケに行ったりして
帰宅は2時3時がアタリマエで
翌朝は9時頃学校に行って授業を受ける

といった
ハードな生活を送っていたので
就職して現在の仕事に就いたときには

「なんてラクチンなシゴトでお金がもらえるんだ」

と喜んだものである。

3年の後期
研究室に上がってからは
塾のバイトは辞めたが
今度は毎日毎日実験三昧で







sushizanmai

それは
すしざんまい



夕方ごろからDNA抽出をはじめて
制限酵素の処理を行い
夜中に電気泳動をはじめて
明け方に結果を記録する
といった生活を毎日続けていた。




まぁ、
この業界は業界で
(しすてむえんじにあぎょうかい)

休みの日とか夜中とか
業務が動いていない時間に
システムの切り替え作業を行ったりとか
障害が起きれば昼夜を分かたず
とにかく復旧するまで不眠不休で対応するとか
それなりにハードなのであるが
さほど苦に感じないのは
このころの経験があるからなのかもしれない。


そんなオッサンの昔語りはさておき。


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