鹿児島には
たんにゃまイヌの食い逃げ
(谷山犬の食い逃げ)
というナゾのことわざ(?)がある。
(現行犯確保ww)
これは、鹿児島市南部にある
谷山地区(旧・旧谷山市)
のガラが悪くて
食い逃げが多発した
とかいうことでは
・・・・たぶんない。
(´-ω-`;)ゞ
・・・・と思う。
友人たちとのFacebookタイムライン上の話題で
出てきて思いだしたのであるが。
もっとも、小生も以前は知らなかったのであるが
たんにゃまんジゴロんし
(谷山の地元の民)
の間では語り継がれている
豊臣秀頼生存説
に関する伝説である。
豊臣 秀頼(とよとみ ひでより / とよとみ の ひでより、旧字体:豐臣秀賴)は、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。
太閤・豊臣秀吉の三男。
[Wikipedia "豊臣秀頼"項 2020/05/29 採取]
豊臣秀吉の後継とされた秀頼は
結局『大坂夏の陣』にて
徳川家康に滅ぼされた
というのが一般的な歴史上の流れであるが
よくある
落人伝説
の一つとして
秀頼が逃げ延びて
谷山の地に潜んでいた
というのである。
いや、別に潜んでいたのではなかったww。
薩摩の国主から
「そのものに手を出してはならぬ」
と言うお触れがでており
秀頼とウワサされる大男は
タンニャマの城下街のお店で
シコタマ酒を飲んでは暴れまくっていたのだが
そもそもお金を払うと言うことを知らなかったため
ただ食いして帰っていったという。
そのため現在でも谷山地方では
無銭飲食のことを
『谷山犬の食い逃げ』
というのだそうだ。
ふーーーーん。
(*´σー`)
まぁ、歴史ファンタジーだな。
そんなあんまり興味のない話題でも
マクラに持ってくる
マクラネタ抑制策はさておき。
続きを読む
落人伝説
の一つとして
秀頼が逃げ延びて
谷山の地に潜んでいた
というのである。
いや、別に潜んでいたのではなかったww。
薩摩の国主から
「そのものに手を出してはならぬ」
と言うお触れがでており
秀頼とウワサされる大男は
タンニャマの城下街のお店で
シコタマ酒を飲んでは暴れまくっていたのだが
そもそもお金を払うと言うことを知らなかったため
ただ食いして帰っていったという。
そのため現在でも谷山地方では
無銭飲食のことを
『谷山犬の食い逃げ』
というのだそうだ。
ふーーーーん。
(*´σー`)
まぁ、歴史ファンタジーだな。
そんなあんまり興味のない話題でも
マクラに持ってくる
マクラネタ抑制策はさておき。